琵琶湖のブラックバス

湖畔からブログ発信中!

吃りという個性。

 ためらっていたが ここに書くことに決めた。

 

 自分は「吃り」である。だから上手く喋れないし みんなとコミュニケーションを取ることも苦手である。

 子供の頃 気づいた時にもう そうなっていた。原因を探れば これしかないことが分かる。

 自分には姉がいて  幼少のころ ひどくイジメられていた。裕福とは真反対の家で 夜になると 土方の仕事に出ている父も旅館の仲居をしている母も家におらず 身体の大きい3歳違いの姉に身体の上に乗られ全く動けないようにされ いいように イジメられ いつも 「お、お母ちゃん 。は、早く帰ってきて…」と心の中で願って泣いている自分がいた。

 

 こうして書いている還暦の今でも その時の苦しさを思い出し 涙が止まらない。

 

 苦しみは入った小学校でも永遠に続く。国語の時間… 「読んでみなさい」の指名に怯える自分がいる。できれば当たらないように下を向き 嵐が通りすぎるのを待つ小さな吃りの自分。

 でもたまには当たってしまうんだな。教科書を待つ手が震えながらも つっかえつっかえ 自分のありったけの力で読むなんて健常者から見れば 考えられないだろう。たかだか30秒の時間でも 緊張でクタクタになる自分がいた。

 自分の場合 特に「い」から始まる言葉が言えないんだな。今でも そうなんだがな。

 

 学校で年度が変わるたびに クラス替えでみんなの注視を浴びながら自己紹介は苦痛の時間。自分の名前さえ まとも言えない惨めな自分で十数年。

 

 弱い者なり その辛さをしのぐため 色々やるものである。例えば「言い換え」…言いにくい言葉をスムーズに発音できる似た意味の言葉に瞬時に言い換えて 何とかその時をやり過ごしたり

  出だしを歌でも歌うかのようにことばを伸ばして会話を続ける方法とか…

 だから音楽の授業の時間は好きだった。歌を歌う時は吃るなど 全く出なかったから。

 

 覚えているのが ある先生に言われた言葉 「君の話には説得力があるな」って。とつとつと話せば 大半そうなるのは分かったのが成人になってから。だけどそう言ってもらい 吃りの自分はとても嬉しかった。それを少しばかりの応援として忘れずに長い年月やってきた。今でも本当に感謝している。

 

 年齢を経て 経験からか開き直りからか 自分の人生の大半の中で苦しめられてきた「吃り」は独自の対処法などとともに 影が薄くなっている 現在だが。

 

 まだいっぱいいるはずの市井の吃りの人達に言おう

 

「 君の話は説得力があるな」って。