琵琶湖のブラックバス

湖畔からブログ発信中!

オレは男だ!の求職風景。

 自分も60歳の還暦をはるかに超え 天職だと強く思っていた配送の自営業も都合により畳んだし、さてこれからどうやって食ってくべー⁈ と人並に悩んだ時もあった。

 

 楽天家ゆえ 今までどうにかなったことをあぐらをかいて 人様に どーすんの⁈ と心配をかけること多々。…すいません…。とココで皆さまに謝る。

 

 とりあえず 探さなきゃ…と思い、行動を起こし まずは職安へ行き登録して 簡単な面接で希望を聞かれたわけだが初日はザックリした案件の提示にとどまるだけだった。数枚のコピーした求人票を手に ハローワークをあとにして 眩しいくらいの日差しの外に出る。

 

そそかしこと汗かいて働いている人たちを眺めながら 少しばかりの羨望の眼差しをかけ トボトボと歩く。

 

 ハローワークで提示された内容はボンヤリしたものばかりで  帰路につく足取りも迷走気味で いかん いかんと思いながら そのまま立ち飲み屋に寄ることとなった。昼間っからビールで そのアルコールが背徳の気分で じわじわと身に染み入る。

 

 酔いつつあるココロの中で自問自答し終わりのない迷路に迷い込んだ気持ちになる。

 

 とりあえず働く気持ちはしっかり最後の部分にあるのだけが救いだが。

 

 週の初めに届く新聞の折込の求人チラシをじっくりとコーヒー飲みながら読み込む所を 我が家の大黒柱の連れ合いがチラと横目で見ている。

 

 別の日にスーパーへ買い出しに行けば 出入り口付近に必ず置いてある 原色の目立つ表紙のタウンワークなど 手に取り ひとの目を少しばかり気にして買い物袋に突っ込み 帰ってから検討しようと思う。

 

 毎日が日曜日で 他の人様には羨ましがられるが 何も無い一日が始まる朝なんて 世間一般から必要とされてないような気分がして 無力感が増す。

 

 今日も戦力外のプレイヤーの戦いは続く。台風が来ても 炎暑の日でも 外見からは 人様には全く分からない胸の内。

 

 日が暮れて 夕方過ぎのビールの時間まで また 長い時間が横たわっている。早く時間が過ぎないかと思う。

 求人サイトを眺め MLB中継を見たり 厚い歴史書を読んだりして 紛らわせるが 続かない感じ。

 

 五里霧中の現在 またひょっこり働き出せば アレが嫌だ コレが嫌いと言い出すに違いないのはわかっている。

 文句を言ってる時が華なのかな。その日が早く来るのを願って 今日も検索アーンド検索だ。

 

  自分は「俺は男だ!」の森田検索か⁉︎ 甲高い声で「吉川くん!  だいたい君はだなぁ」と連呼しようか。

「D」の陰謀…。

  このタイトルを見れば 何の陰謀か…考えるはず。

  もしかして柳生一族の陰謀なら話は分かりやすい。

 

 Dとは…良く世間が分かっていらっしゃる皆さんならTV cmなどでお馴染みの「デアゴスティーニ」社である。

 

  以前 柄でもなく 水彩画の方でハマったのが最初。初めの1号2号は格安で取っ付き易く それから だんだん値が上がり 風評によると完結するまで10万以上かかる との事。

 

  覚えてないが そんなにも払ったのか俺。 メルカリでその集めたやつを売ろうとしたが二足三文だったよ。

 

  一回も水彩画も描かずに毎号送られて来る絵の具の数々の色のチューブなどなど。毎号 お手本などテキストで例示されるが とにかく集めることに 意識が飛び 終わる頃には立派な水彩画セットが揃うわけだ。

 

 まぁ戦艦大和やらゼロ戦やらアルミダイキャストモデルやら 雑誌「丸」愛読者の戦争モノ好きな自分にとっては気をそそられること多数!

 

  最初が安過ぎるから 先ずは手に取って見てしまう。Dの陰謀は確かに絶大な効果あり。

 

 現在 分かっていながらも意思の弱さから 「マジック」購買中。

 

 創刊号はワンコイン以内の取っ付きやすさから 購入し分かっていながらも次の2号は しょうがなくの1657円! コレは高い!のプラス税だぜ。

 

 本音として まぁ 楽しみとして 少しばかり お金を払ってもいいと思うが 考えれば また 総額10万超の長々とした間延びした  Dのマジックは止めてくれと言いたい。

 

 デアゴスティーニ…そなたも悪だのう…と悪代官になり代わり言いたい。

 

ココロの聴力。

 いつも行っているお店に 使っている補聴器の調整に行った。

 

 電池を貰い、少しばかりの聴力検査をして もっと聞こえるようになりたい自分だが これ以上のボリュームアップは出来ないことを残念ながら告げられる。

 

 その帰り いつも寄っている 漫画喫茶で 楽しみに数々の漫画を読む。

 

 飲み放題の中から 好みのコーヒーをゆっくり飲みながら その作品 漫画を読むと 難聴で補聴器をしている自分自身にも 読んでいる漫画から チラと音が聞こえる。

 

 それは「BLUE GIANT SUPREAME」という開始当時から長く読んでいる作品なんだ。ジャズに打ち込む 若きサックスプレイヤーのお話。

ビッグコミックに連載中の 昔から丹念に読み継いでいる作品。

 今は海外に飛び出して 環境や人種の違いを大きく感じ 武者修行のような演奏ツアー中。

 まるで Jリーグから海外に雄飛していく人物のようだ。

 

 ジャズグループを組んでいるメンバーの一人ドラムのラファにサックス奏者の主人公のDが彼の大事なスタイルを変えろと直言して それぞれの葛藤の中 大事な演奏になった訳なんだ。

 

  漫画の中の話だが ドラマーのラファ自身が○○風だのいつもと違う感じで叩くドラムの音が 本当にココロに響いてくる。

 

 ひどい難聴の自分でも ラファの叩くドラムの新しい試みとそれに絡む Dのサックスの音が演奏が聞こえてくる。

 

 普通の生活で人の声は半分くらいしか聞こえない自分が この物語の演奏は想像の中で本当に聞こえるようだ。

 

 まだまだ 自分のココロが実際ではなく漫画の上での このやり取りや演奏が聞こえるなら この先 色々なことがあっても 上手くこなしてやれると強く 思った。

 ココロの聴力は衰えてないのが分かり少しばかり嬉しい。

アンハッピーフライト。

  先日 朝の情報番組で この光景が全米で話題になりさまざまな意見が飛び交うビデオ映像を見たが  それは ほとんどの乗客が自分の席に着き 今まさに西海岸からニューヨークへ飛び立とうとする飛行機内でのことだった。

 

  3人掛けの座席の真ん中が自分の席だった一人の白人女性が 肥満の二人の男女の黒人に挟まれているという あまりの居心地悪さに悪態をついて退出させられる映像だった。

   それを見聞きしていた近くの他の乗客もあまりの暴言に「恥を知れ!」なんて声をあげている。

 

  我ら日本の場合で考えてみると 新幹線の場合が多いだろう。

 

  金曜日の晩など大変混み合っており乗車券を窓口で買うその時 販売員から「3人掛けの真ん中のB席になりますが よろしいでしょうか?」聞かれるはずである。

  渋々了解して買う時もあるが シート自体 窮屈さを考え 少し広めにとってあるから 東京大阪間 二時間くらいなら普通に考えれば 耐えられるくらいだろう。

 

  ところが 自分の乗る新幹線の号車に辿り着き 座る三人掛けのB席を見れば その両側に巨体の相撲取りが座っていた…なんてことあるだろうか?

 

  日本の場合 あり得ない。自分も新幹線をよく利用していたが そんな光景一度も見たことない。事情をよく知る関取の彼等はあらかじめ二席分を購入していたのである。大人料金と子供料金の二人分をあらかじめ払って彼等なりのスペースを確保してるのである。

 

  アメリカでの問題は 肥満の本人達も載せる航空会社にも アテンダントもイマジネーションがなく すべて少しの配慮が足りないことでこうなってしまうのを予想できなかったことだろう。

  もちろん我慢出来ず悪態をつき始めた彼女が悪いのだが。

 

  あちらの肥満は本当に想像できないくらいの方々をよく散見するが 座席の幅に収まらないくらいで ようやく自身の贅肉を絞りあげて なおかつ 肘掛けを跳ね上げて 無理矢理 座らせるケースが多い。

 

 だから ネット予約などでで各人の風体は分からないにつけ そうなってしまった 白人女性は 正にアンラッキーで同情してしまう面も少しはある。

 

  もし自分が こんなふうになってしまったら 4時間の満員電車感覚のフライトにおとなしく静かにしている自信は全くないのである。皆さんはいかが⁈

みうらじゅん氏の書き出し。

 大事なのは 書き出し。現代的に言えば掴み…ということか。

 

こうやって 下手なブログを書いていても はじめの取っ掛かりの書き出しが上手くいかないと スラスラと文章が出てこない。

 過去の素晴らしい文学に目を移すと やはり このはじめの一行目はその作品のエッセンスが凝縮されているかのようである。

  言わずと知れた ノーベル文学賞作家 川端康成の「雪国」…冒頭の「国境のトンネルを…」口に出して音読してみても その光景が目に浮かぶようで素晴らしい。このはじめの部分だけで読者の心をしっかりと掴み 物語の展開を期待させる。

 いにしえの古典ならば平家物語といこう 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の…」まるで念仏であるかのような響きと琵琶法師による語りを思い出させる。

 

 一方 こちら 今現在。 

 

好きな 書き出しがある。

 

 読み始めはいつも 少なからず自分も正直 当たっていることに にやけてしまうが こんな始めかたもある。

  「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた。」

  これは 自分が敬愛する ほぼ同学年で赤いちゃんちゃんこ の還暦仲間 おまけに名前のじゅんつながりでもある コラムニスト及び色々やってらっしゃる みうらじゅん氏の某週刊誌に掲載中の書き出し。

  話の中心は スケベ話だが そこから派生する 様々な話やみうら氏の深い知識や見識が 垣間見られ 毎週楽しみに読んでいる。

 

  冒頭が決まっているのだから ある程度 スムーズに本題に入って行けるのかもしれない。

 自分も こういった文章のイントロを考えてみれば なかなか進まない執筆も 以前よりは上手く行くかもしれない。例えば「人生の三分の一は睡眠時間だった。」とか …あまりにも真似っこでバカバカしすぎて ダメだこりゃ。

親が死んだら…

  最近 目につくのはやたら この物騒なテーマで特集を組んでいる雑誌が多いことだ。

 

 そりゃ 親に先立たれバタバタするのは当然のことながら あらかじめ対策を立てていることは大切なことだとわかっているが。自分自身もそれなりの年齢になり 親は80半ばを超え その時期も遠くはないと思うこの頃である。

 

   週の初めのほうに 新聞に乗る 雑誌の巻頭記事 広告の見出しが 新聞を開いた右 左で そのテーマ 「親が死んだら」で似たようなそれになっているケースが幾度もあり もう食傷気味である。

 

  毎週発刊のため 書くネタを探すのは大変だろうが 類似記事ばかりで 過去記事の焼き直しを読まされている気分がする。

 このブログを書くのもネタ探しで苦労する自分自身と同様のものだが それぞれの雑誌の編集者はどちらが今週号をマネしたかと批判の思いだけでなく  新しい視点で 話題を掘り起こして いただきたいと切に思う。

 

  よく行く 漫画喫茶で 雑誌をペラペラめくりながら 「またこの記事かよ!」って嘆いているのは自分ひとりじゃないだろう。

吃りという個性。

 ためらっていたが ここに書くことに決めた。

 

 自分は「吃り」である。だから上手く喋れないし みんなとコミュニケーションを取ることも苦手である。

 子供の頃 気づいた時にもう そうなっていた。原因を探れば これしかないことが分かる。

 自分には姉がいて  幼少のころ ひどくイジメられていた。裕福とは真反対の家で 夜になると 土方の仕事に出ている父も旅館の仲居をしている母も家におらず 身体の大きい3歳違いの姉に身体の上に乗られ全く動けないようにされ いいように イジメられ いつも 「お、お母ちゃん 。は、早く帰ってきて…」と心の中で願って泣いている自分がいた。

 

 こうして書いている還暦の今でも その時の苦しさを思い出し 涙が止まらない。

 

 苦しみは入った小学校でも永遠に続く。国語の時間… 「読んでみなさい」の指名に怯える自分がいる。できれば当たらないように下を向き 嵐が通りすぎるのを待つ小さな吃りの自分。

 でもたまには当たってしまうんだな。教科書を待つ手が震えながらも つっかえつっかえ 自分のありったけの力で読むなんて健常者から見れば 考えられないだろう。たかだか30秒の時間でも 緊張でクタクタになる自分がいた。

 自分の場合 特に「い」から始まる言葉が言えないんだな。今でも そうなんだがな。

 

 学校で年度が変わるたびに クラス替えでみんなの注視を浴びながら自己紹介は苦痛の時間。自分の名前さえ まとも言えない惨めな自分で十数年。

 

 弱い者なり その辛さをしのぐため 色々やるものである。例えば「言い換え」…言いにくい言葉をスムーズに発音できる似た意味の言葉に瞬時に言い換えて 何とかその時をやり過ごしたり

  出だしを歌でも歌うかのようにことばを伸ばして会話を続ける方法とか…

 だから音楽の授業の時間は好きだった。歌を歌う時は吃るなど 全く出なかったから。

 

 覚えているのが ある先生に言われた言葉 「君の話には説得力があるな」って。とつとつと話せば 大半そうなるのは分かったのが成人になってから。だけどそう言ってもらい 吃りの自分はとても嬉しかった。それを少しばかりの応援として忘れずに長い年月やってきた。今でも本当に感謝している。

 

 年齢を経て 経験からか開き直りからか 自分の人生の大半の中で苦しめられてきた「吃り」は独自の対処法などとともに 影が薄くなっている 現在だが。

 

 まだいっぱいいるはずの市井の吃りの人達に言おう

 

「 君の話は説得力があるな」って。